暴力と愛の鞭
日本芸能界最強であり同郷の美女、志穂美悦子。
夫婦げんかで飛燕空中三段蹴りをくらい骨折までしたその配偶者、長渕某が、身の危険を感じ極真空手に入門して強靭な身体を作り上げたことは有名な話である。暴力が愛にまで昇華した夫婦関係に、想像を絶した凄みを感じざるをえない。
閑話休題。
ウィル・スミスがアカデミー賞会場で暴力を振るったという事件に両論あるようだ。アメリカでは非難が大きく、日本では同情論が多いようである。
アメリカの場合、暴力に神経質なインテリ層やワスプを中心とする偏った意見が中心で、世論になっているのだろう。結局、アメリカも階級社会なのだ。そこまでいうなら銃の所有について日頃から文句言えば?と、皮肉りたくなる。
そもそも、平手のビンタが暴力だというザックリした決めつけがおかしい。ゲンコなら怪我もするが、ビンタなど一瞬の痛みと赤みぐらいしかダメージがない。子供を叱り叩く時、止むに止まれず平手でパチンとやることはあるが、ゲンコで殴る親などいまい。そこにウィル・スミスの理性のブレーキがしっかり効いているのである。
言葉が暴力より重いダメージを人に与えることがある。それに対して同じ言葉で防御力をもたないとき、ビンタ程度の感情の爆発は、言葉の暴力と限りなく等価ではないだろうか。
何があっても暴力はダメ。
愛の鞭、という言葉は今死滅しているが、このガチガチの平和思想が、現代、ある面で教育界を歪にしている場合もある。僕らの子供時代は、ガッコの先生から尻を叩かれたり、スリゲンをされたりして、そのときのささやかな痛みと同時に学ぶことも多くあった。
今の子供はそういうことを知らないから、先生を馬鹿にして恐れていない。先生も親の目が怖くて、子供に接するときいつもビクビクしている。こんな厳しさのない現場で良い教育が行われるとは思えない。