nobotyanのラクガキとつぶやきブログ

自由な発想、自由な表現

美女の基準

今回の「鎌倉殿の13人」を見たら、巴御前が

繋がり眉毛で登場したのは驚いた。中央アジアのタジキスタンでは、繋がり眉毛は美女の条件らしい。美女の尺度が国や時代、文化で違うのは面白い。

おそらくだが、鎌倉時代の日本人は現代のような混血化がまだ進んでいなく、外見上も縄文人、弥生人、北方系、南方系といろんな種族がいただろう。血統を大事にし守ることが重要な時代、実は見かけだけで血統の識別ができたと思われる。

十二単を着たお姫様は一重まぶたの細い目に下膨れのおたふく顔で、我々が見ると美人とは言い難い。だがそれは当時の日本女子の典型ではない。都という限られた文化圏、貴族集団の中だけで認められた基準で、美女と言うに過ぎないのである。これを貴種という。

義経が奥州藤原に保護され、頼朝が坂東武士に祭り上げられたのは、貴種の外観を持っていたからである。司馬遼太郎の「義経」には毎晩、奥州の女子が入れ替わり立ち替わりで夜這ってくる描写がある。女たちは子供が体毛薄く細い目の貴種の外観を持って生まれることを期待していたのだ。

もし我々が過去にタイムスリップするなら、現代の尺度で美人とされる女子が不遇の目にあっているところを目の当たりにするかもしれない。和田勉の小説「村上海賊の娘」の主人公は醜女とされているが、その描写は現代でいうと凄い美女である。

昔はモテない男でも美女に囲まれてウハウハという夢のような別世界だったかもしれない。


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