nobotyanのラクガキとつぶやきブログ

自由な発想、自由な表現

共産主義は必ず独裁化する

 なんかもう怒りが我慢できないので書くけど、常任理事国の一角が悪行三昧してたんじゃ「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」なんて憲法の文言はまったくカラ周りじゃないか。武力による体制変更は絶対許さない、というのが先の大戦で得た世界のコンセンサス。途方もない犠牲を経て、やっと人類が掴んだ価値観を簡単に破棄しやがった。

 共産主家国家という人類の大実験は、すでに瓦解し、必ず独裁化し思想弾圧を始めるということがわかっている。ロシアはその毒を溜め込んだままどうしょうもないところまできてしまった。

 最近、井沢元彦の「逆説の日本史」を読み返したりして思うことだが、国がどこであれ人間個人には誰にでも情というものがある。愛情や友情などの感情に心揺さぶられない者はいない。

 しかし「道徳觀」はその国の歴史や文化に深く根ざしたもので「教育」として受け継がれ教え込まれるものである。たいていの国では宗教がその国民の道徳教育を担っている。例えば、西洋では神の下の平等、神との契約(つまり約束を守るということ)などの道徳意識が醸成されてきた。

 ところが、共産主義は思想信条の自由を許さないから宗教自体否定している。そのうえ歴史も浅い。つまり道徳の教育的基盤がないのである。

 そのような国家は、他にも朱子学で作られた国々がある。中国、朝鮮である。朱子学の歴史は深いが、神を否定しているので。共産主義と親和性が高く容易に結びついてしまう。行き着く先は、神の不在、それに代わる独裁者の容認である。

 同じように韓国も朱子学の国だ。これらの国に共通しているのは、究極的には道徳観の欠如であろう。

 嘘をつくことに罪悪感を感じない。人を騙す、盗む、目的のためならどんなに汚いことでも平気でやる。自分とその仲間さえ良ければ良いのである。

 日本人はどうか。「おてんとさま」が見てるから悪いことはできない。悪いことをすると地獄に落ちるーそういう感覚が日本人のDNAには刷り込まれている。

 個人としての情は信じてもいいが、問題の国家の国民性には常に警戒が必要だということだ。肝に銘じるべきだろう。



×

非ログインユーザーとして返信する