nobotyanのラクガキとつぶやきブログ

自由な発想、自由な表現

笑顔に癒される



ガッシュで描く


月一で山本佳子の人物画研究会に参加している。水彩には透明水彩と不透明(ガッシュ)があって、ここで学んでいるのはガッシュである。

しかし実物写生は難しい。構図の撮り方、バランス、3次元空間を2次元に映し取ること。とにかくピンタレストで選んだ平面美女を描く3倍は難しい。そのうえガッシュを使うとさらに倍難しくなる。

山本先生はガッシュはいくらでも修正がきくから素人向きでやさしい画材だという。いやいや、だからこそいつも修正地獄に落ちて大変なことになってしまうのである。


ところで山本佳子先生の描く人物画は凄い。

こんな絵が描きたいと思っても、誰もが描ける絵ではない。絶対に真似できないと思う。


山本佳子 ー絵描きの日常ー - 洋画家 山本佳子の作品紹介

この教本が凄い


6人のプロの先生方のテクニックを学べる本だが、読んだだけではどうしようもなく実践が大事。しかし実践しても思い通りにいかない。先生によっては何書いてるのかさっぱりわからないものもある。

まあ、プロのテクニックが簡単に手に入るわけないわけだが。

徳田明子先生はフェースブックでフォローしていろいろ勉強させてもらった。模写もした。僕の投稿にイイネをくださることもある。感謝。


松林先生の肌感と徳田先生の背景のテクニックを真似て描いた。

美女の基準

今回の「鎌倉殿の13人」を見たら、巴御前が

繋がり眉毛で登場したのは驚いた。中央アジアのタジキスタンでは、繋がり眉毛は美女の条件らしい。美女の尺度が国や時代、文化で違うのは面白い。

おそらくだが、鎌倉時代の日本人は現代のような混血化がまだ進んでいなく、外見上も縄文人、弥生人、北方系、南方系といろんな種族がいただろう。血統を大事にし守ることが重要な時代、実は見かけだけで血統の識別ができたと思われる。

十二単を着たお姫様は一重まぶたの細い目に下膨れのおたふく顔で、我々が見ると美人とは言い難い。だがそれは当時の日本女子の典型ではない。都という限られた文化圏、貴族集団の中だけで認められた基準で、美女と言うに過ぎないのである。これを貴種という。

義経が奥州藤原に保護され、頼朝が坂東武士に祭り上げられたのは、貴種の外観を持っていたからである。司馬遼太郎の「義経」には毎晩、奥州の女子が入れ替わり立ち替わりで夜這ってくる描写がある。女たちは子供が体毛薄く細い目の貴種の外観を持って生まれることを期待していたのだ。

もし我々が過去にタイムスリップするなら、現代の尺度で美人とされる女子が不遇の目にあっているところを目の当たりにするかもしれない。和田勉の小説「村上海賊の娘」の主人公は醜女とされているが、その描写は現代でいうと凄い美女である。

昔はモテない男でも美女に囲まれてウハウハという夢のような別世界だったかもしれない。


似顔絵いろいろ